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横浜地方裁判所川崎支部 昭和50年(わ)251号 判決 1976年11月25日

主文

1  被告人を懲役一年一〇月に処する。

2  訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  競馬施行者でないのに、

(一)  昭和五〇年九月六日川崎市幸区南幸町二丁目四〇番地作アパート内河島章一の居室で同日施行の中央競馬である昭和五〇年度第四回中山競馬第一日目の各競走に関し、優勝馬を予想指定させ、予想の的中するときは、一口一〇〇円につき一五、〇〇〇円を限度として右競馬場における払戻金額と同率の金員を支払い、的中しないときは、被告人において別紙犯罪表(甲)備考欄記載の条件で申込賭金を取得する約旨のもとに、同表記載の賭客をして電話で同表記載の如く申し込ませ(但し河島章一を故意のある幇助的道具として電話を受けさせ)、もって勝馬投票類似の行為をさせて利を図り、

(二)  同月七日右河島方で同日施行の中央競馬である昭和五〇年度第四回中山競馬第二日目の各競走に関し、前同様の約旨(但し、割引率は別紙犯罪表(乙)備考欄のとおり)のもとに右犯罪表(二)記載の賭客をして電話で(但し同表1の第五、第六レースは大場淳二の妻博子を通じて淳二より申込。同表2は小宮孝之が直接被告人に面接して申込)同表記載の如く申し込ませ(但し同表1の第一ないし第四レース、同表4、5、6は前記河島を故意のある幇助的道具として電話を受けさせ)、もって勝馬投票類似の行為をさせて利を図り、

第二  法定の除外事由がないのに、昭和四八年九月二二日夜東京都千代田区丸の内一丁目九番一号国際観光ホテルロビーで、島崎修が桝田屋秀昭に対しフェニルメチルアミノプロパン塩酸塩を含有する覚せい剤粉末約五〇グラムを代金五〇〇、〇〇〇円で譲り渡した際、右取引の数量、金額、日時、場所を島崎に連絡し、右ホテル付近道路で故意のある幇助的道具として島崎から同覚せい剤を受け取り、これを右ロビーで桝田屋に手渡し、もって島崎の右犯行を容易にさせてこれを幇助し

たものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(累犯加重理由となる前科)

被告人は、何れも静岡地方裁判所沼津支部で、(1)昭和四一年七月八日恐喝罪により懲役二年六月の言渡を受け(同月二三日確定)、同四四年一月七日右刑の執行を受け終り、(2)同四五年七月一六日銃砲刀剣類所持等取締法違反罪により懲役一〇月の言渡を受け(同月二一日確定)、同四六年五月一九日右刑の執行を受け終ったもので、右事実は≪証拠省略≫によりこれを認める。

(昭和五〇年一〇月一一日付起訴状記載の公訴事実にかかる本位的訴因及びその予備的訴因を排斥し、判示第二の如く認定した理由)

昭和五〇年一〇月一一日付起訴状の本位的訴因は、

「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和四八年九月二二日の午後八時ころ、東京都千代田区丸の内一丁目九番一号国際観光ホテルロビーにおいて、桝田屋秀昭に対し、フェニルメチルアミノプロパン塩酸塩を含有する覚せい剤粉末約五〇グラムを代金五〇万円で譲り渡したものである。」

というのであり、予備的訴因の要旨は、

「被告人は、島崎修と共謀の上、法定の除外事由がないのに右同様の犯行をした。」というものである。

そこで関係証拠を総合して考察すると、昭和四八年九月中旬頃飛田治夫から覚せい剤五〇グラムの買受申込を受けた川幡清は、同月一九日頃桝田屋秀昭に覚せい剤の買受を申し込んだこと、桝田屋は、電話で被告人に覚せい剤を一グラム一万円で五〇グラム位探してほしい旨依頼したこと、被告人は、これを受けて桝田屋の言値のとおり島崎に電話連絡したこと、被告人は、同月二一日頃島崎から一グラム一万円で五〇グラムの覚せい剤が揃う旨の電話を受け、その旨を桝田屋に電話連絡したこと、桝田屋は、同日川幡に一グラム一万三千円で覚せい剤が入手できる旨及び翌二二日午後七時三〇分判示ホテルロビーで会う旨を電話連絡した上、被告人には同日午後七時同ホテルロビーに来るよう電話連絡したこと、被告人は、その旨を島崎に電話連絡すると、島崎は、自分で覚せい剤を持参する旨いったこと、一方川幡は飛田と話し合い一グラム一万七千円で小笠原順功に売却し、利益二〇万円を折半することを約したこと、被告人は、二二日午後七時ないし午後七時三〇分頃同ホテルロビーで桝田屋と会ったが、桝田屋が買主が来ないから、一寸待ってくれとの旨いったので、誰か尋ねると、川幡である旨答えたこと、暫くして島崎が自動車を運転して同ホテル付近に到着し、ホテルの方へ来かかったが、車に引き返したこと、被告人は、同ホテルを出て島崎の車に至り、助手席に乗り島崎を誘ったが、「ホテルロビーにいるのは桝田屋だろう。同人には会いたくない。」旨いったので、島崎に買手は桝田屋である旨伝えると、島崎は、快い顔をしなかったが、「金だけは受け取ってくれ。桝田屋に会いたくないから、金は明日にでも受け取りに行く。」旨いって覚せい剤の包を渡したので、被告人は、これを腹部に隠して桝田屋の処へ戻ったこと、島崎は、被告人不識の裡に程なく同ホテル前から去ったこと、桝田屋は、被告人に「買手の川幡が来ないから少し待ってくれ。相手が来ても値段はいわないでくれ。」との旨いったこと、川幡は、午後八時頃同ホテルロビーに来たが、代金が揃わない旨弁解したため、被告人と桝田屋は不満の意を示したこと、川幡は、一旦東京駅構内で待っていた小笠原、飛田の許に戻り同人らと協議した上、同日午後八時三〇分頃ホテルロビーに再来し、被告人と桝田屋に対し覚せい剤を売って代金を持参する旨話し、桝田屋も被告人に自分がこの取引については責任を持つ旨口添えをし説得したので、被告人は、折柄帰宅していた島崎にその旨電話連絡したところ、島崎から桝田屋が代金支払の責任を持つならよい旨の返辞を得たので、川幡に対し最終列車までに代金を持参するよう要求し、川幡もこれを約したので、覚せい剤入りの紙袋を桝田屋に渡し、同人がこれを内金一三万円と引換に川幡に手渡したこと、桝田屋は右一三万円を被告人には渡さなかったこと、午後一一時頃飛田が連絡に同ホテル付近に来て桝田屋に小切手にしてくれとの旨頼んだので、同人が被告人にその旨打診したが、島崎に電話連絡しその意を受けた被告人は、現金払いを桝田屋に要求し、同人が小田原にいた川幡に電話でその旨連絡したこと、川幡は翌二三日午前一時頃になって同ホテル付近に来、待っていた桝田屋に石田商事代表川幡清振出、振出日昭和四八年九月二五日、金額五三万円の小切手を手渡したこと、桝田屋はこれを被告人に差し出したが、同人は現金にして渡すよう要求し、小切手の受領を拒絶したこと、桝田屋は、同月二五日現金化し同日頃被告人方に現金五〇万円を覚せい剤代金として被告人に渡し、更に車賃等の名目で五万円を手渡したこと、被告人は、右五〇万円を島崎に渡したが、同人からは一円も貰わなかったこと、桝田屋は終始同人が川幡に対し右覚せい剤を一グラム一万三千円で譲り渡すことを打ち明けなかったこと

が認められる。

右認定に反する被告人その他関係人の各供述ないし供述記載は採用しない。ことに桝田屋の証言記載、検察官に対する供述記載をみると、自己に不都合な点は判らないと答えたり、覚せい剤代金の点については、被告人に対し一グラム一万三千円で五〇グラムほしいという客がある旨伝えたと述べたり、一グラム一万二千円である旨被告人に伝えたことを暗に肯定したり、被告人に対し右ホテル付近で現金一三万円を渡した旨証言したり、小切手金五五万円(真実は五三万円であるのに)の中から川幡が上積みした三万円と一グラム千円相当の自分の取分五万円とを差し引いた四七万円を被告人に渡し、同人の利益がないというので右三万円と五万円の計八万円を同人と折半した旨証言したり、検察官に対しては覚せい剤代金として被告人に五五万円を渡し、そのうちの六、七万円を被告人から礼として貰った旨供述したりして、証言等の激しい動揺変転を示していることが認められるのであるが、これらは畢竟桝田屋が自己の刑責を最少限に押え、同人が島崎から覚せい剤を被告人を通じ一グラム一万円で譲り受け、これを川幡に一グラム一万三千円で譲り渡した二個の犯罪の各正犯としての責を免れるための弁疎と断ぜざるをえないものである。他に前示認定を覆えすに足りる証左は存しえない。

右認定事実によれば、被告人は、桝田屋から一グラム一万円の覚せい剤五〇グラムの世話を依頼されて島崎に連絡し、取引の日時場所も島崎に知らせたが、同人から自身で取引するため判示ホテルに赴く旨を聞いたため、相手と引き合わすため判示日時頃同ホテルに行き、被告人に次いで同所付近に来た島崎が取引相手が快くない桝田屋であることを見聞了知して、被告人に覚せい剤を手渡すや、同人も本件覚せい剤の取引当事者は島崎と桝田屋であることを認識しながら、これを桝田屋に渡したもので、同人からその代金五〇万円を受け取ると、そのままこれを島崎に渡し、同人からは一円の分配も受けていないものであるから、被告人が単独で島崎から覚せい剤五〇グラムを購入して桝田屋に売却したとは到底認めえないのであって、本位的訴因は採用の限りではなく、さりとて被告人が島崎と共謀して桝田屋に右覚せい剤を譲り渡したことを認むべき証拠は存しないから、予備的訴因そのものは認定することができない。

しかし、被告人が覚せい剤五〇グラムを桝田屋に手渡した客観的事実は動かしえないものであるところ、右所為における被告人は、覚せい剤譲渡の正犯意思を欠き、島崎の桝田屋に対する右譲渡行為を幇助する意思のみを有したに過ぎないと認めざるをえないので、いわゆる正犯の犯行を容易ならしめる故意のある幇助的道具と認むべく(東京地方裁判所昭和四三年刑(わ)五七六二号、同四四年刑(わ)一六三三号事件判決。同年刑(わ)三〇〇三号、三一九一号、同四五年刑(わ)二一〇一号事件判決。最高裁判所昭和二五年七月六日判決、集四巻七号一一七八頁。同判決の参考とされたのではないかと思われる独大審院一九二八年一一月二三日判決、RG判決集六二巻三六九頁以下特に三九〇頁と同院一九二九年一一月八日判決、RG判決集六三巻三一三頁以下特に三一四―三一五頁等独国において確立された判決及び学説参照)、これを正犯に問擬することはできないのであって、事案の真相は、判示第二のとおりと認定せざるをえない。被告人が覚せい剤を桝田屋に手渡す前、桝田屋の告白により同人の川幡に対する転買意図を認知したことは、被告人の島崎にかかる右譲渡犯行の幇助行為を被告人の桝田屋に対する譲渡犯行にまで飛躍させる原由となるものでは決してなく、又被告人が事後桝田屋から五万円を車賃等名下で受けたことは右幇助行為以後の事象であって、判示認定に些かの消長を来すものではない。

そして右認定にかかる事実について被告人は、防禦を尽したのみならず、判示第二は、予備的訴因に関し、客観面において被告人の実行行為の分担的行為即ち構成要件的行為を認めながら、主観面において正犯意思を否定し正犯幇助意思を認めて幇助犯とした認定であって、構成要件該当行為以外の行為だけによる幇助犯認定の場合とは本質的に異るもので予備的訴因範囲内の認定というに何の妨げもないから、更に訴因変更の手続は採る必要がないものである。

(法令の適用)

判示第一(一)(二)の各所為は、各包括して競馬法第三〇条第三号に、同第二の所為は、昭和四八年法律第一一四号附則第七項に則り、同法律によるる改正前の覚せい剤取締法第一七条第三項、第四一条第一項第四号(刑法第六条、第一〇条も適用)、刑法第六二条第一項に該当するので、判示第一の各罪につき所定刑中各懲役刑を選択し、判示第一(一)(二)の各罪は前記(2)の前科があるので各同法第五六条第一項、第五七条により各累犯加重をし、判示第二の罪は前記各前科があるので同法第五六条第一項、第五九条、第五七条により累犯加重をし、判示第二の所為は従犯であるから同法第六三条、第六八条第三号により法律上の減軽をし、以上は同法第四五条前段の併合罪なので同法第四七条本文、第一〇条により重い判示第一(一)の罪の刑に併合罪加重をし、その刑期範囲内で被告人を主文第一項の刑に処し、訴訟費用を被告人に負担させる点につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用する。

(量刑の事情)

被告人は、昭和三三年から同四五年にかけて窃盗、横領、恐喝未遂、傷害、恐喝等の罪で九回懲役刑、一回罰金刑に処せられ、前示(2)の累犯前科の刑を受け終り二年余りで判示第二の犯行に及び次いで判示第一の各犯行を累行したもので、ことに覚せい剤は、うつ病、ナルコレプシイ等特定の精神病に適量使用(医療上の適量は一回分二・五ないし五ミリグラム。一回分の極量二〇ミリグラム)すれば有効性を発揮するが、量を超えて使用すれば、知覚と是非弁別力、行動制禦能力とを分離させ、意識は清明そのものでありながら、易々として殺傷行為に及ぼしめる恐るべき薬剤である(この種経鑑定多数の事件審判及び参議院法制局で覚せい剤取締法案立案部に昭和二六年中勤務し、知得した多数の資料から当裁判所に顕著な事実であるばかりか、今や公知の事実である。)ゆえに、その取扱につき法は厳罰を以って臨んでいるところ、被告人は、五〇グラムも拡散した事犯に関与したものであり、のみ行為の受申込額も軽少ではなく、被告人の生活歴を勘案すれば、本件は、典型的やくざ者の所業と断ずべく、その刑責は重いといわざるをえないのであって、他面、事後のみ行為相手方の所在の明らかな者に対しては自然債権を放棄し、所在不明の者に対してもその債権行使の意がないと思われること、判示第二は正犯ではないこと、犯行を自白し反省と更生の意を披瀝したこと、この種事犯(改正前の覚せい剤取締法違反事件を含めて)に対し当裁判所の為して来た多数事件の量刑との均衡、桝田屋秀昭に対する求刑と推測される疑問を含んだ判決内容等被告人にとって斟酌されるべき一切の諸事情を能う限り較量しても、判示処断は、やむをえないところである。

よって主文のとおり判決する。

(裁判官 櫛淵理)

<以下省略>

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